インド大反乱(いんどだいはんらん)とは、1857年から1859年の間にインドで起きたイギリスの植民地支配に対する民族的反抗運動のこと。かつては「シパーヒー(セポイ)の乱」と呼ばれたが、反乱参加者の出身が広くインド社会全体に広がっていた事から「インド大反乱」と呼ばれる様になる。インド側からは第一次インド独立戦争という呼ばれ方をされる事もある。イギリスは、1623年のアンボイナ事件以降インドへの進出を開始し、イギリス東インド会社を通じて本格的にインドの植民地化をすすめていた(その過程についてはイギリス東インド会社を参照のこと)。この過程で権力や財産を失ったかつての支配階層から、木綿工業の衰退による失業者まで、階層を問わず、また市民・農民の区別なく多くのインド人がイギリスへの反感を持つに至り、反乱への参加者も多かった。そのため、この大反乱はインドで初めての民族的反乱とされている。この大反乱は、1857年5月にインド北部の都市メラートでシパーヒーが蜂起したことに始まる。 シパーヒー(sipahi)とはイギリス東インド会社が編成したインド人傭兵のことで、セポイ(sepoy)ともいわれる。 この傭兵団は上層カーストに位置するヒンドゥー教徒と上流階級のイスラム教徒で構成されていた。彼らが反乱を起こした直接的な原因は、イギリス軍が新たに採用したエンフィールド銃の薬莢にヒンドゥー教徒が神聖視する牛の脂とイスラム教徒が不浄とみなしている豚の脂が使われており、この銃がシパーヒーにも配備されるという噂が流れたことである。当時の薬莢は紙製であり、また銃身が狭かったため、弾薬には防湿油ないし潤滑油として脂が塗られていたが、弾丸を装填する場合にはまず口で弾薬の端を食いちぎらなければならなかったため、噂が本当であれば、彼らは戦闘時に宗教的禁忌(牛または豚を口にすること)を犯すことになる。彼らはこれを宗教的侮辱と受け取って弾薬の受領を拒否するなどしたが、これらの行為は懲罰の対象とされた。こうした処置に怒ったシパーヒーは、ついに反乱を起こすに至ったのである。反乱はインド北部(特にガンジス川流域)を中心に拡大し、デリーを占領してバハドゥール・シャー2世を擁立しムガル帝国の復活を宣言するなど、その勢力は一時国土の3分の2にまで及んだ。しかし、翌1858年には装備で勝る東インド会社の軍隊によって反攻が始まる。ほかにもイギリスは周辺民族や旧支配階級を懐柔するなど政治面でも反乱勢力をリードし、反乱はほどなく鎮圧された。この大反乱という失政の責任を取らせるため、イギリス政府はインド統治法によって東インド会社を解散させ、政府が直接統治する形をとった(1858年)。そして1877年にはイギリスのヴィクトリア女王を皇帝とするインド帝国の成立を宣言し、形式的にも本国政府がインドを統治することとなった。