キューバ危機(―きき、The Cuban missile crisis)は、アメリカのすぐ南に位置するキューバにおいて、1962年10月15日から13日間続いた米ソ間の冷戦が頂点に達して核戦争の危機を招いた国際緊張の事である。なぜソ連のフルシチョフがキューバからのミサイル撤退を受け入れたかについては様々な説がある。よく聞かれる説には次のようなものがある。ワシントン時間10月28日午前9時にケネディが緊急テレビ演説をするという情報がフルシチョフのもとに入った。そしてその演説に先立ってケネディは教会で礼拝をするという。開戦前のアメリカ大統領は開戦を告げる前に必ず礼拝に行くと聞いていたフルシチョフは、ケネディが開戦を決意したと勘違いしてミサイル撤退を決意した、というものである。しかし、当時は情報機関の間では様々な不確実な情報が飛び交っており、キューバ駐在のソ連大使アレクセーエフのところには「数時間以内にアメリカが武力侵攻するという確実な情報」が届けられ、激高したカストロはフルシチョフにアメリカを核攻撃するように迫ったとされる。しかし、フルシチョフはこの情報はアメリカの情報機関がソ連の情報機関に意図的に流したデマだとして信じなかった。ケネディが教会で礼拝をするという話を聞いてフルシチョフがあわててミサイル撤退を決意したなどというのは、三流紙のゴシップ程度の話に過ぎない。ケネディの側近だったセオドア・C・ソレンセンの著書「ケネディ」では、キューバ危機の米ソ対決の決着が着いたのは、ロバート・ケネディ司法長官とアナトリー・ドブルイニンソ連駐米大使が、ABCネットワークの記者ジョン・スカリーの仲介で深夜のワシントン市内の公園で密かに会って話し合ったときであったことが記されている。その会談で実際にどのようなやり取りがなされたかは具体的には書かれていない。しかし、当時のソ連の権力機構から考えて、駐米大使に決定的な権限が与えられていたとは考えられず、会談の存在が事実だとしても、この会談が問題解決に決定的な役目を果たしたとは考えられない。真実は、上記のようなナゾめいた話とは程遠い単純なものである。当時のソ連の軍事力はアメリカの軍事力には遠く及んでおらず、両国の全面戦争という事態になれば、ソ連は核兵器を用いてアメリカにある程度のダメージは与えられたものの敗北するのは決定的であった。ナチスドイツを相手に苦戦した経験を持つフルシチョフはこのことをよく理解しており、アメリカの強い軍事力と強い姿勢に屈服せざるをえなかったのが国際政治の現実であったと考えられている。この二年後にフルシチョフは失脚することになるが、彼が更迭された中央委員会総会では、キューバ危機におけるアメリカへの「譲歩」が非難されることになる。