パラグアイ戦争 (三国同盟戦争とも呼ばれる)は、1864年から1870年にかけてパラグアイと、アルゼンチン・ブラジル・ウルグアイの三国同盟軍との間で行なわれた戦争。ラテンアメリカの歴史の中で最も凄惨な武力衝突となった。開戦の直接のきっかけは、当時ブラジル・アルゼンチンの緩衝国であったウルグアイの政変に、パラグアイの独裁者であり領土拡張主義者であったフランシスコ・ソラーノ・ロペスが介入したことによるが、ラテンアメリカの植民地支配の歴史やこの地域へのイギリスの経済的関心も影響しているとも言われる。戦争はパラグアイの完全な敗北に終わった。政府軍同士による戦いが終結した後も長期に渡るゲリラ戦が続き、その結果軍人市民問わず多数のパラグアイ人が死亡した。ある推測によると、戦争および戦争中の疫病により、当時の人口の9割にあたる120万人のパラグアイ人が死んだとされる。より正確とされる推計では、開戦前にいた50万人ほどのパラグアイ人のうち、約30万人が死んだとされている。終戦後、パラグアイでは壊滅的に混乱した状況からの立ち直りと、成人男子の殆どを失ったことによる人口分布のアンバランスの解消に、半世紀と言われる年月を費やした。一方、ブラジルは奴隷制度の廃止と軍主導の政治体制へと向かった。アルゼンチンは近代化への道をたどり、ウルグアイにとっては、ブラジル・アルゼンチンによる内政介入から脱するきっかけとなった。