関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)は、安土桃山時代の慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)に美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ヶ原町)で戦われた戦い。関ヶ原の役における最大の決戦である。豊臣秀吉死後の政権を巡って争われた徳川家康を中心とする派と石田三成を中心とする派の間の抗争の決戦となり、この戦いで勝利した家康は政権を完全に掌握し、徳川氏の覇権を確立した。しかし、この戦いによって生じた怨恨が、19世紀に起こった後の薩摩藩・長州藩による江戸幕府倒幕運動に少なからず影響を与えている。この戦いは日本全国のほとんどの大名を徳川派(東軍)と豊臣派(西軍)に二分したことと、戦い後に情勢が徳川氏に完全に傾いたことから『天下分け目の戦い』とも呼ばれている。比喩的にこの言葉を用いる場合は後者の意味のほうが強い。なお、東軍・西軍と呼ばれ始めたのは後世のことであり、豊臣の家臣同士の成敗合戦ということで、豊臣家自体表向きは静観の立場を取っていた。