西南戦争(せいなんせんそう)とは、1877年(明治10年)に現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において西郷隆盛を盟主にして起こった士族による武力反乱である。丁丑の乱・十年戦争・私学校戦争・西南の役(せいなんのえき)とも呼ばれ、明治初期の一連の士族反乱のうち最大規模のもので、日本最後の内戦となった。1871年の廃藩置県で全国の直轄化が完成した明治政府だったが、反面、各藩の借金および士族への俸禄の支払い義務を受け継ぐことになり、家禄支給は歳出の30%以上となってしまった。政府は、赤字財政健全化のため、生産活動をせずに俸禄を受けている特権階級の士族の廃止を目的に四民平等を謳い、1873年に徴兵制、1876年に秩禄処分を行った。これで士族解体の方向が決定付けられてしまったため、士族の反乱が頻発し、西南戦争に至る。政府の西南戦争の軍事費は4100万円にのぼり、当時の税収4800万円のほとんどを使い果たすほど莫大になった。政府は戦費調達のため不換紙幣を乱発し、インフレが発生した。のちの大蔵卿松方正義によって増税・官営企業の払い下げ・通貨整理がなされ、兌換紙幣の発行が出来るようになり、日本が欧米列強に並ぶ近代国家になる下地が作られた。しかし、松方デフレで農民の小作人化が進み(小作農率の全国平均38%→47%)、大地主が発生した。また、小作を続けられないほど困窮した者は都市に流入し、官営企業の払い下げで発生した財閥が経営する工場で低賃金労働をさせられ、都市部の貧困層が拡大した。西南戦争は、士族の生活安定という初期の目的を達成出来なかったばかりか、当時の国民のほとんどを占める農民の没落をも招いた。また、一握りの大地主や財閥への資本蓄積を進め、貧富の格差を助長することになったが、結果的に日本の近代化を進めた。