第三次ミトリダテス戦争(だいさんじミトリダテスせんそう)は、ポントゥスとローマの間に紀元前74年から前63年に起きた戦争で、三度にわたるミトリダテス戦争の最後のものである。この戦争ではミトリダテス6世が率いるポントゥスが先手を打って攻勢に出たが、ローマが逆転し、ポンペイウスの遠征軍がポントゥスを滅ぼした。ポンペイウスは余勢をかってアルメニア、シリア、ユダヤまでローマの勢力圏におさめた。ポンペイウスはポントゥスを占領してからコルキスを通過し、ミトリダテスとの戦争が終了したと判断して、前65年にアルメニアに入った。このときアルメニアでは、ティグラネス王と彼の王子たちとの間に争いが起こった。ミトリダテスの娘を母とした三人の王子のうち、二人は殺されたが、残る一人、王と同名のティグラネスはパルティアへ、ついでポンペイウス軍のもとに身を寄せた。続いて父親のティグラネス王がポンペイウスのもとに降ったので、ポンペイウスは父子が国土を分割するように仲裁した。しかし子の方のティグラネスがパルティアとローマの戦争を画策したため、ポンペイウスはこの王子を捕虜にして、彼に分割されるはずだった領土をカッパドキアに与えた。子のティグラネスは、ポンペイウスがローマに凱旋した後で、殺された。前64年に、ポンペイウスは南下してシリアを滅ぼし、ユダヤを属国にした。ミトリダテスはボスポロスで重税を課して軍を編成し、ガリア人と同盟してイタリアに侵入しようと考えた。しかし、前63年に息子のファルナケスが反乱を起こしたため、護衛兵に命じて自らを殺させた。ファルナケスはポンペイウスに使者を送り、ローマと講和して、ボスポロス王国を保った。