南北戦争(なんぼくせんそう 英:American Civil War 1861年-1865年)は、アメリカ合衆国に起こった内戦である。奴隷制存続を主張する南部諸州のうち11州が合衆国を脱退、アメリカ連合国を結成し、合衆国にとどまった北部(23州)との間で戦争となった。お互いにあらゆる国力を投入していたことから世界で最初の総力戦(Total War)だった、とする説もある(他説では日露戦争から、とするものもある。なお、総力戦という言葉ができたのは第一次大戦の頃)。当時、南部と北部との経済・社会・政治的な相違が拡大していた。南部では農業中心のプランテーション経済が盛んで特に綿花をヨーロッパに輸出していた。プランテーション経済は黒人労働奴隷により支えられていた。そして、農園所有者が実質的に南部を支配していた。英国を中心とした自由貿易圏に属することが南部の利益だったため、南部は自由貿易を望んでいた。それに比べ、北部では急速な工業化が行われており、新たな流動的労働力を必要とし奴隷制とは相容れられなかった。そして、商工業振興のため、保護関税、交通網の整備などが求められていた。南部に比べて保護貿易への期待が高かった。北部で奴隷制反対の機運が高まると、これを巡る合衆国内の対立はしだいに大きくなっていった。そこで、奴隷制を認める州(奴隷州)と認めない州(自由州)とを半々とすることによって勢力バランスをとるため、1820年にミズーリ協定が成立した。これは、ミズーリ州が奴隷州として合衆国に加入する代わりに以後北緯36度30分より北に奴隷州をつくらない、という協定である。しかし、米墨戦争の結果、合衆国の領土は太平洋岸まで拡大し、新たな州を奴隷州とするかどうかをめぐり奴隷州と自由州の対立が激化した。そこで、カリフォルニア州を自由州として、ニューメキシコ、ユタについては州に昇格する際に住民自らが奴隷州か自由州かを決定すること(人民主権)となった。この協定によって、南部は奴隷州が少数派となること(すなわち上院議員の数が自由州側の方が多くなる)に危機感を抱いた。