文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)は豊臣秀吉による、二度にわたる明遠征の通過地点である李氏朝鮮における戦闘の総称である。朝鮮出兵と呼ばれることも多い。朝鮮側が受けた被害に関心をもつ立場などからは朝鮮侵略と呼ばれる。これに対し日本側の立場からは朝鮮征伐と呼ばれる場合もある。豊臣政権時から江戸時代後期に至るまでは明の征服を目指していたことから唐入り、唐御陣、また高麗陣、朝鮮陣などと呼ばれた。近年の教科書にはは専ら朝鮮侵略と表記されていることが多い。文禄の役は1592年(文禄元年)に始まって翌1593年(文禄二年)に休戦し、講和交渉決裂によって始まった慶長の役は1597年(慶長二年)に始まり、1598年(慶長三年)の秀吉の死を受けた日本軍の撤退をもって終結した。朝鮮民主主義人民共和国・大韓民国では文禄の役を壬辰倭乱(イムジンウェラン)、慶長の役を丁酉再乱(チョンユヂェラン)と呼んでおり、明では万暦朝鮮の役と呼ばれた。